「ママ友」そろそろやめませんか 言葉と関係性にジェンダー的違和感

記者コラム「多事奏論」 編集委員・岡崎明子

 「私の『ママ友』がね……」と言う度に、ざらりとした違和感を覚えるようになったのは、いつからだろうか。「子どもを通じた友人関係」を端的に示す便利な言葉なのだが、口にする度に、頭の中で思わずかぎ括弧をつけてしまう。

 広辞苑ではどう説明されているのかと引いてみたが、これほど浸透している言葉なのに、載っていなかった。

 同僚にこの言葉への違和感をぶつけてみると……。出るわ、出るわ。価値観が違う人ともつきあわなければならない苦労話から、ジェンダー的な問題の指摘まで、議論は尽きることがなかった。

 私なりに、この言葉を使うときに違和感を覚える理由を考えてみた。

 親同士の関係を円滑にすることで、子ども同士も仲良くできるようにすることが母親の役割だという社会規範が内面化されている言葉であり、「子育ては母親の仕事」というジェンダー的役割分担につながる言葉でもあること。

 「○○ちゃんのママ」を起点に築く人間関係は、個人のつながりではなく役割に基づくものであるため、アイデンティティー喪失につながる恐れがあること。

 同じ幼稚園、小学校など閉ざされた集団における関係のため同調圧力が生じやすく、「波風を立てないように」と常にアンテナをはらなければならないこと。

 「マウントの取り合い」や「表面的な付き合い」など、否定的な文脈で語られることが多く、女性への冷ややかな視線や偏見につながりがちであること。

 こうして挙げてみると、残念な言葉にしか思えない。ただ一方で、子育て中の女性が「ママ友」を求めてきたのも事実だ。育児の楽しさやしんどさを分かち合い、互いに子どもを見守ることで支えられた経験は、私にもある。

 そもそもママ友という言葉は、いつ頃から使われるようになったのか。

記事元URL
https://www.asahi.com/articles/AST9S2T19T9SULLI002M.html

By boingo

One thought on “「ママ友」そろそろやめませんか 言葉と関係性にジェンダー的違和感”
  1. >「○○ちゃんのママ」を起点に築く人間関係

    「○○ちゃんのパパ」という表現もあることから分かるように、日本では子供を中心とした目線からの関係性で語られることが多いです。お互い下の名前で呼び合っていた夫婦も、子供が生まれれば「パパ」「ママ」となり、子供だけでなくお互いのことまでそう呼称するケースが多数派となります。

    それまでの文化や慣習、伝統というのは、明らかに問題である場合を除き、その後も大事に継承して行くのが肝要ではないかと思います。

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